2008年11月13日

稲尾さんについて思い出したこと

稲尾和久さんが亡くなられて1年。

鷹の新しい鉄腕と言われた大場翔太投手がプロ初登板で初完封勝利。
西鉄ライオンズのユニフォームが福岡の地にも甦る。
よみがえる西鉄ライオンズ展が福岡三越で開催。
王貞治監督がホークス監督を辞任。
渡辺久信監督率いる埼玉西武ライオンズがプロ野球日本一。

「鉄腕」の歩んだ奇跡の延長線上に、これだけたくさんのことが起こっていた。

稲尾さんについて、思い出したことがある。

残念ながらライオンズとは縁のなかった私ゆえ、稲尾さんのことで印象に残っているのはRKB毎日放送の野球解説者として福岡に「帰って」きてからの日々。
確か今から3-4年前のシーズンだったと思うが、今季限りで現役を引退した星野順治投手が先発で投げていた試合の解説をしていた時のこと。
制球が定まらずに連続四球を与えた姿を見て、稲尾さんは「星野はこれがなあ…」ととても悔しそうにつぶやいていたのが何となく頭の片隅に残っている。
最近では、すっかり暴投王との呼び名が定着してしまった新垣渚投手がワイルドピッチを犯すともどかしそうにコメントをしていた気がする。

いつまでも野球人として、また投手の闘争心を忘れず。
きっと監督かコーチかだったら、前述の二人には優しくも妥協なく指導をしていたのではないだろうか。
…そんなことを、ふと思ったりした。

我々の知らない場所で、見えない場所で、稲尾さんはどんなふうに野球を見守ってくれているのだろうか。
早いような、長いような、1年が経った。


王さんしんみり…稲尾氏死去から丸1年(スポニチアネックス)

 プロ野球西鉄(現西武)のエースとして活躍し「鉄腕」の異名をとった稲尾和久氏が亡くなってから、13日で丸1年が経過した。

 稲尾氏は昨年、悪性腫瘍のために70歳で死去。1958年の巨人との日本シリーズではチームが3連敗した後、4連投で4連勝し「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。西鉄の黄金期を支えた右腕は、プロ通算276勝をマークし、数々のタイトルを獲得した。

 昨年の告別式で弔辞を読んだソフトバンクの王貞治最高顧問は「もう1年か。クライマックスシリーズの後のこの時期だった。早いね」と話し、故人をしのんだ。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fuespo.net/mt/mt-tb.cgi/3068

コメントする