また会いましょう
18年という歳月は、生まれて成長し高校を卒業するまでの長く、密度の濃い年月でもある。
スワローズファンとしての自分にとっても、18年前はそれまで一度きりの日本一があったものの万年Bクラスに甘んじて、弱い弱いと他球団ファンの同級生からさんざん馬鹿にされていた時期でもあった。
ちょうど野村克也が監督となり、新戦力がめきめきと頭角を現し、弱い時代を支えたベテラン選手もそれぞれの持ち場で自分の力を発揮した。その先に、光の差し込む扉の向こうに優勝という栄光が待っていた。
古田敦也は、ヤクルトファンが新たに味わうことになる18年間の真っ只中にいた選手だった。
稀代の大捕手を師匠に持ったことで始まった新たな歴史。
次々とヒットを生み出すバッター、投手を巧みにリードするキャッチャー、選手と監督を兼任するプレーイングマネージャー、多彩な姿を魅せる彼を見ると、ホントに野球のボールは丸いんだ、いろんな面から角度から野球って楽しめるんだって心から思った。
自分にとっては東京の球団だったことで全国ネットの中継で目にする機会も多かったのも幸いだった。ラジオですら聴けるチャンスの少ないヤクルトの試合なのにテレビで印象的な数々のシーンを目に焼き付けることもできた。
福岡でそのプレーを見ることはできたけど、やっぱり一度は神宮で見たかった。
でも、かなわなかった。
それでも、自分にとって最も印象的に残る選手であることに変わりはない。
同じことを思って、10月7日の神宮球場に居合わせたファンは多かったのではないか。
同じく18年のプロ生活を終え引退するカープの佐々岡投手との最終打席。
ひとつの時代の区切りを選手自らが演出してくれたことが何より嬉しかった。
今季限りで引退する広島の佐々岡が、古田兼任監督の引退試合での最後の打席で対戦相手を務めた。アマチュア時代に日本代表でバッテリーを組んだ経験があり、この日は佐々岡が希望して八回二死一塁でマウンドに上がった。予想していなかった展開に球場全体が大歓声に包まれた。カウント2-1から遊ゴロに仕留めた佐々岡は「全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。すごくいい思い出になりました」と感慨に浸っていた。
(SANSPO.COM速報より)
残念ながら試合に敗れ、単独最下位へ後退。
古田自身も4打数ノーヒット。盗塁や本塁打も許して納得のいくホーム最終戦とはならなかった。
共に戦ったチームメートたち、共に勝利をもぎ取れればもっとよかったけれど。
それでも、古田敦也はファンに向かってはっきりと感謝の言葉を口にした。
そして、次の時代の始まりを導くためのメッセージを残し、神宮球場を後にした。
ヤクルトの古田敦也兼任監督(42)は今季の神宮球場最終戦となった7日、広島との最終戦に「5番・捕手」で先発し、引退試合を行った。同球場では今季最多となる3万3027人が詰め掛け、背番号27の最後の勇姿をまぶたに焼き付けた。古田兼任監督は引退試合でのマスク姿を楽しんでいた。石川、石井一、高津…。自身のリードで一人前に育て上げた「まな弟子」たちの感謝の念がひしひしと伝わってくる。九回の守備を終えるとベンチで目を潤ませ、マスクをそっと外した。
「きょうのことは一生忘れないと思います。いい思い出になりました」と古田監督は言った。スタンドは「ミスタースワローズ 27」と書かれた応援ボードで緑一色に染め上がり、打席では無数のフラッシュが包んだ。「僕は幸せものだと思う」と感慨深げだった。
8回にはドラフト同期の佐々岡との対決もあった。「一生懸命投げるんで、打ってください」と言われていたが、遊ゴロに終わった。4打席に立って安打はなく、盗塁も許した。それでも、古田監督は「精いっぱいやったので、後悔はないです」と胸を張った。
2004年球界再編時の選手会長でもある。この日も「球団は野球ファンのものです」とあらためて強調した。「また会いましょう」。18年間を支えてくれたファンへの感謝がこめられていた。
(スポニチアネックス速報より)
はい。
また会いましょう。
そして、たくさんの感動をありがとう。