ちょうど7年前の10月7日

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ちょうど7年前の10月7日。
小倉駅のコンコースで「歓喜の時」を迎えていた。

一時はホークス優勝は絶望的と言われた状況から一気呵成の追い込みで西武を抜き去り、目前で千葉で足止めを食らうなど波乱もありながら、ホームで王監督を胴上げするラストチャンスまで野球の女神はじらしてくれた。
先発マウンドに上がったのは、田之上慶三郎。
高卒、ドラフト外入団、プロ初登板まで7年。
「ダイエーホークス」という名前をまとった苦労人に、大一番は託された。
その期待に応えた田之上は、一人一人、確実に討ち取っていく。

息詰まる投手戦の静寂を打ち破り、小久保裕紀が先制のホームランを放つ。
この後オリックスの反撃を抑え切ったホークスは2年連続のリーグ優勝を決めた。
王監督を胴上げする輪の中に、背番号15のユニフォームを着た「藤井ハリー」がいた。
福岡ドームだけでなく、福岡市内、北九州市内、その他あちこちで歓喜の声が夜遅くまで響き渡ったことだろう。
そしてホークスは「ON対決」と称された日本シリーズへ歩を進め、パ・リーグの強豪チームとしての名を得ることができた。


王監督は「一時はエースとして(チームの)先頭で頑張った。(シーズン)13勝したし、それは大変なこと。チーム一筋で18年もやったし、球団史に十分残っている」と田之上に語り、労をねぎらったという。(日刊スポーツ九州より)
現在とはまた違った意味での厳しい立場で戦っていたホークスを支えた一員。
田之上慶三郎への早期の戦力外通告は、苦しい時期からホークスを知る者への球団側の最大限の敬意であるものだと信じたい。
ホークスで今後現役生活を続けられないのは残念だが、同時にこれからの人生が幸多いものに、ホークスファンにたくさんの「慶び」を与えてくれた分が彼に注ぎ込まれんことを祈っている。


田之上投手の他にホークスの優勝を知る倉野投手、移籍して貴重なバイプレーヤーとして活躍した斉藤秀光選手、若き鷹投の期待株だった川口容資投手も戦力外通告を受けた。
別れを惜しむより、これからの人生が幸多いことを願って、ホークスファンの一人として送り出したいものだ。

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コメント(2)

なぜかσ(^^;の周りには評価が低かった田之上選手ですが、ホークスが先発投手に苦労していたころの最大の功労者だとσ(^^;は思っています。しぶといピッチングも大好きでした。戦力外通告は残念ですけど、どこに行っても応援したいと思います。

なんたって和巳が台頭するまでのエースですからね。>田之上さん
おっしゃるとおり、ホークスの歴史を築いた一人、功労者ですよね。

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このページは、さばこぞが2007年10月 7日 23:16に書いたブログ記事です。

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