“黒い霧”35年、池永氏晴れて復権(日刊スポーツ九州)
日本にプロ野球が誕生してから70年余りだから、その歴史の半分。
長い時間をかけて、ようやくひとつの歴史に区切りがついた。
「黒い霧事件」によって永久失格処分(昨年ぐらいまでは永久追放と呼ばれていた)を受けていた池永正明氏の処分解除が正式に決まった。本当によかった。
同時に、野球協約にこれまでなかったという永久失格の処分解除という項目が発効された、歴史的な日でもあった。
突然だが、池永氏とは(私にとって)一方的なつながりがある。
同郷・下関が生んだ野球選手で、下関商業時代に選抜高校野球で優勝したこと。
自分が高校時代、体育担当だった教師が、池永氏が通った中学で野球部の指導をしていたこと。
だから、自分にとっても他人事とは思えなかった。
実際、自分が知ってる限りで何年も前から、池永氏の復権を求める署名活動は、下関市を中心としてずっと行われていたのだ。
その場に居合わせることがなかったために署名する機会はなかったが、今回の復権は、池永氏自身と、彼を応援するすべての人たちの努力が報われた結果であり、心から祝福したい。
池永氏との一方的なつながりについて、この際だからもうひとつ。
それは2001年12月25日。
その年始まったプロ野球マスターズリーグの試合に、親父を連れて福岡ドームへと足を運んだ。
みぞれ交じりの雨が降る、野球観戦では信じられないような寒い日だった。
その日行われた福岡ドンタクズと名古屋エイティーデイザーズとの試合で、池永氏が先発投手としてマウンドに上がった。
永久失格処分を受けて以来、初めてマウンドに上がった時だった。
予定されたイニングを0点に抑え、試合後のインタビューでも満足そうな、晴れやかな顔でコメントしていたのがすごく印象に残った。
#つい最近、現役時代の池永氏の投球をTVで見たのだが、ピッチングフォームが現役時代と、マスターズリーグで投げたときとまったく変わっていなかったのに驚いた。もし現役を全うしていたら軽く300勝はできていたのではないかという夢すらふくらむ姿だった。
マスターズリーグへ誘ったのは、現役時代の同僚・稲尾和久氏だそうだ。
自分が参加すると他の人に迷惑がかかると拒み続けた池永氏を何度も誘ったのだそうだ。
周りの人々は知っていたのだろう。
マウンドから追い出されるような人ではない。
決して八百長行為などする人ではないということを。
だからこそ、一緒に野球をしようと。普通に友達を遊びに誘うように。
あの、復活登板の日。
居合わせたオールドファンはみな同じことを思っていたに違いない。
暖かい拍手を送り、声援を送り、打者を打ち取るたびに歓声が上がった。
きっと、あの時の歓声も、復権の日が来るのを後押ししたはずだ。
失った時間は決して戻ってこない。
だから、池永氏は「気を引き締めて」と語っている。
それは、これからの、野球人として新たに歩む日々を見据えての言葉だろう。
若い野球人たちに、少しでも多くの技術と魂を伝えていってほしいと思う。
照らし始めた光が、いつか黒い霧を完全に晴らす日まで。
